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「共依存」と承認欲求の話

今回はちょっと重い話もあるし、少し長いんで、興味ない人はスルーしてください。

 

社会学系や心理学系の本を学生のころよく読んでて、その中で「共依存」という一種の病的な人間関係があったんですが、これが自分に結構当てはまっていたなぁと思っていたので、ちょっとその事について書こうと思います。

 

共依存とは?

共依存とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存する、その人間関係に囚われている状態を指す。一般的に「共依存」と言うと、病的な人間関係などを指すことが多い。共依存者は自己愛・自尊心が低いため、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、共依存関係を形成し続けることが多いと言われる。

(wikipediaより)

 

もともとアルコール依存の人間とその周囲の介護する人間関係から定義された言葉で、要するにダメ男を好きになる女の子の心情とかもこれに近いものがあるんですが、「私がいないとこの人はダメだ」と思って世話を焼かずにいられない関係だったり、前回少し話したブラック企業に自己を犠牲にしてまで奉仕して「俺がいないとこの会社はダメだ」となる心理も一種の共依存と言えるわけです。

 

「自己犠牲の精神」とか「やさしさ」と捉えれば聞こえはいいんですが、そうした奉仕の代償としてどこかで相手からの見返りを求めてしまっているわけで、正当な見返りがないと疲弊していってしまうのでめんどくさい関係になるわけです。

 

どういう人がなりやすいのか?

「存在論的安心感を得るために、自分の欲求を定義するために他者を必要とする人」

ー社会学者ギディンス

 

自分に存在価値があるとは思えない人、また、慢性的な虚しさを感じている人等は、他者に何かをすることで自分の存在価値を満たし、虚しさを埋めようとします。

期待とコントロ−ル 共依存

 

・自分を価値の低い者と感じ、自分が他者にとってなくてはならない者であろうと努力する。

・つねに他者を第一に考え、みずからは犠牲になることを選択する。

・奉仕心が強く、他者のために自分の身体的、感情的、精神的欲求を抑える傾向が強い。

・他者の世話をやくことによって、その他者が自分へ依存するように導く。

・強い向上心を持った完全主義者で、自分は物事を完璧にやれないから良い人間ではない、方法さえ見出せば完璧にやりとげられるはずだと信じている。

・自分と他人との境界が曖昧で、他人の感情の起伏の原因が自分にあると思ってしまう。

・他者に対して不誠実、支配的で、自己中心的である。

・策略的な手段を用いる傾向があり、自分の気持ちを直視せず、平気で嘘をつく。

共依存概念の混乱と問題性

 

まぁ、恋愛なんか少なからずこういった傾向はあるし、特に女の子の恋愛相談とか聞くと大体こんな感じだったりするんですけど、自分の場合も、相手から自殺を迫られたりとかへビーな展開になりやすく、なんでか今までそういう子に頼られやすくて、自分もそういうどこか歪んでいる子に惹かれやすい、というまさに共依存の関係に陥りやすかったというのがあって、その度にいい加減学べよ、と自分に思ったりしてました。

 

こういう状態になると、大抵の場合、周りからは「放っておけ」と言われますし、実際普通の人なら近寄らないか、深くは関わらないようになるんですけど、お互いに強い依存関係に陥るとなかなか断ち切るのは難しいんですね。たとえば自分の友人に7年くらい不倫関係を続けている男がいるんですが、「自分が見放すと相手は自殺するかもしれない」という心理になっていて、お互いに呪縛から解けずにずるずるといってしまう関係になっているようです。

 

精神科医の斉藤学(マリノスのメッシじゃないですよ。)は現代社会の家族における共依存について次のように述べてます。

少女たちが彼女たちの身体を客体化し、異性にとっての“良い製品”である自己を作り出すことに汲々としている間、彼女たちの父親や母親は職場にとっての良い働き手、家族にとっての良い母を演じ続けて倦まない。職場に過剰適応している多くの父親たちは、それによる苦痛を感じることもないという点で、彼らの娘たちよりも危険なところにいる。彼ら仕事依存者たちは、そうした夫にひたすら奉仕する共依存的な妻たちの期待に応えて、ひたすら働き、豊かな人間関係と、成熟した自己洞察を失って行く。

今の社会の“健全な”家族のなかで営まれているのは、この種の“非健全”である。子供たちは、職場での成績にしか生きがいを見出せない仕事依存的な父親と、彼に奉仕しながら支配する母親を見ながら家族という“居心地の良い牢獄”の中で成長し、他者から評価されることでしか自己を実感できない人に育つ。

(『生きるのが怖い少女たち 過食・拒食の病理をさぐる』 斎藤学)

 

これは社会対自分という構図なので、有名なところだと、マズローの自己実現理論の承認の欲求に近いと思うんですが、こういうブログやFacebookだって顕著な例だったりします。誰かに認められたい欲求が渦巻いてる状況というのは学校でも職場でも昔からあったはずなんですけど、ネットが出てきてからさらにそれが目に見える形に露わになってしまって、その光景にある種の異様さも感じつつ、一方ではそれに身を委ねるしかないという寂しさを、自覚しながら客観的にやっているのかどうかというのは自己を保つためには大事だったりするのかな、と思ったりします。

 

ちなみに、この状況から回復するには自分がそういう状態であることをまず認識することだそうですので、あぁ自分もそうかも、と思った人は参考先のリンクを読んでみるといいかもです。特に自分は「幸せだと居心地が悪い」というのがずっと当てはまってましたねw

 

(参考)

その恋、大丈夫?不幸を生む共依存に陥る前にチェックしたいこと

期待とコントロ−ル 共依存/恋愛夫婦カップルの為の心理学

「他人に必要とされる必要」からの脱却

 共依存概念の混乱と問題性-フェミニズム批判を踏まえて-